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活動報告2022.04.21
4月18日午前6時19分、父が亡くなりました。享年79歳。19日通夜式、20日告別式を経て、荼毘に付されました。生前の故人に対しまして、多くの方々からご厚誼を賜り心より感謝申し上げます。この度は、急なご案内にもかかわらず、また、生前の故人の希望により家族葬とさせていただいた中、派閥会長である安倍元総理、岸田総理、菅前総理はじめ、地元内外の本当に多くの方々から様々な形でご弔意を賜りましたこと、重ねて感謝申し上げます。父は、この数年ガンの闘病生活を送っておりました。直近は緩和ケア病棟で過ごしておりましたところ、4月第2週に入り、医師から、「あと1週間がヤマ場です」とお聞きしました。17日に見舞いに行ったところ、翌日朝その時を迎えました。有志国会議員で福島視察に行く新幹線で訃報に接しましたが、亡くなる19時間前に話をできて良かったです。その際、15日に厚生労働委員会にて岸田総理に質問させていただいたことを伝えたところ、全く声がでない状態の中、声をふりしぼって、「えらいこっちゃ」と笑って言ってくれました。父は、7人兄弟姉妹のうち、男5人の一番下ということもあってかさみしがり屋で、少し気が弱いところもあったり、涙もろいところもある一方、息子の私が言うのも口幅ったいですが、とにかくとっても明るく、人から親しまれ、人たらしな人間でした。特に、兵庫県神戸市長田区にある高校に通っており、保険代理店をしていたお客様もその地に多かったようで、阪神淡路大震災の際には、本当にものすごい気迫で、被災した中小企業を助けるんだと懸命に懸命に奔走していました。父は、「縁」を大切にする人でした。父の父方が三重県菰野町に本籍地があったことから、私が三重県の地で政治家としての人生を歩むことができました。また、父の母方は、山口県萩市が故郷で、長州の皆様ともご縁をいただきました。父は、国会議員にならせていただけたことをとても喜んでくれていたので、最大の供養は、国会でしっかり仕事をさせていただくことだと改めて肝に銘じ、頑張っていこうと決意を強くしています。父が、持ち前の明るさで、天国でも笑顔で楽しく過ごし、遺族の行く末を見守ってくれることを心から願い、お別れをしました。なお、写真は、最後を迎えた病棟でスタッフの皆様が、亡くなる2ヶ月前くらいに書いてくださったものです。改めて、本当に本当にたくさんの方々からご弔意を賜りましたこと、心から感謝申し上げ、すぐにお礼に伺えないかもしれず申し訳ございませんが、何卒引き続き、生前の故人同様、ご厚誼賜れれば幸いです。